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興味深いパラダイムに対する考えを積み重ねる場にしたいです.


by patyakatya
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遠い日の歌

「違う」と感じる/思う能力の方が現実/クオリアに近く,「同じ」と思う/感じる能力の方が現実/クオリアから遠い感じがする.

今日もこのことについて考えていた.人間の知覚は時空間的分解能がそこそこ優れているので,一生の間に複数の(というか寧ろ無数の)クオリアを感じることができる.人間にはそういう複数のクオリアを「同じ」とみなす能力と「違う」とみなす能力の双方が存在する.つまり,異なる粒度(ギブソン用語)でクオリアを呪物(フェティッシュ)に変化させることができる.「同じ」も「違う」も,世界を探求する方法としては等しく重要なんだろう.ただ,僕には「同じ」の方が「違う」よりも「遠い」という感覚がする.

「近い・遠い」という感覚に対して,どうして僕はこだわるのだろう?以下でその説明を試みてみる.

「近い」あるいは「遠い」という言葉が生み出す感覚は,これまでのエントリーでも度々触れてきた「奥深さ」という言葉が生み出す感覚と,自分の中では全く一緒である.

どうして「近い」とか「遠い」とかいった感覚が僕にとって重要なのか.それは,人は「遠いもの」を知ること/感じることになんともいえない切実感を感じるように思えるからだ.そして僕自身もまた,「遠いもの」に対して常日頃から片思いを寄せている.

「死」は人にとって一番遠い存在かもしれない.だから「死」を切実に考える人間は,「遠いもの」を知ったり感じたりしたがるのかもしれないと僕は思う.あるいは「他人」こそが人にとって一番遠い存在なのかもしれない.だから人間は「遠いもの」を知ったり感じたりしたがるのかもしれない.
細かい違いを見出すことも,統一的な傾向を見出すことも,共に遠くへたどり着くために人類という種が手に入れた奇跡的な手段なのだと思う.でも,遠くって本当にどこなんだろう??

人は遠い場所にたどり着くために同じとみなす能力を持っている.また同時に,同じとみなす能力を利用しなければ遠い場所には到達しえない.
人は遠い場所にたどり着くために違うとみなす能力を持っている.また同時に,違うとみなす能力を利用しなければ遠い場所には到達しえない.
一人一人が「違う」「一人の」人間であるということが解らない人が,他人というものを理解できるはずがない.

遠い場所とは,遠い日とは,本当に何のことなんだろう.「死」「他人」「宇宙」「自分」全て同じものなんだろうか.多分そうなんだろうと僕はなんとなく思っている.

以上が僕が遠近感に拘る理由だ.そして,遠い場所を探すうえで,「同じ」の方が「違う」より遠い感じがするというのは,ひょっとしたら重大なヒントかもしれないと僕は思う.「同じ」の方が「違う」より遠い感じがするから,「死」「他人」「宇宙」「自分」といった「遠いもの」は全て「同じ」ものだと感じるのかもしれない.これは個人的な嗜好なのか,結構みんなそうなのか,僕にはよくわからない.よくわからないこの「遠いもの」に関して,僕はこれからも考えていきたいと思う.
by patyakatya | 2005-02-26 05:44 | 遠近法