発見するということについて
2005年 02月 07日
茂木健一郎さんの美しい言葉を借りれば,思いもよらぬ事実に触れた時,「世界のココとアソコが繋がっているという感覚」を感じることが確かにできる.特に少なくとも数学に関しては,ペンローズによればその創造主の存在を信じることはむしろ合理的であるらしい.すなわち,あらゆる数学者の理知はそのような数学的構造を造った覚えが無いということである.創造主による創造物に相対するとき,ヒトはその見方・規約を適切に選ぶことによって,新しい構造あるいは関係性をそこに発見することができる.このような関係性は,確かに全て「事前に用意されているもの」であるが,しかしながらその重要度,あるいはその奥深さに関して,一時的にせよ明らかに優劣が存在する.この種の特徴,すなわち複数の可能性から人びとがある種の構造を発見(選択)することによって分野が発展していくという特徴は,アルゴリズムやパズルといった事象群に関しても同様に見受けられる.
だからなんだといえばそういう風に考えられるというだけです.でもそういう風に考えられるということ自体が面白いと僕は思います.
だからなんだといえばそういう風に考えられるというだけです.でもそういう風に考えられるということ自体が面白いと僕は思います.
by patyakatya
| 2005-02-07 01:26
| 用意された(豊かな)世界