「無意識」と「トーン」の関係について
2005年 06月 09日
意識と無意識をそれぞれ「生産者」として考えると、意識よりも無意識のほうが「他とは違うもの」を作るのに適しているように思える。それはまあ「同じ」を作るのが意識の特性であるからだと思うんだけど、じゃあなんで「無意識」は(かろうじて?)他とは違うものを作れるのか?
無意識がどうして「他とは違うもの」を作れるかというと、それはやっぱり身体あるいは脳が基本的には「他(他人の身体や脳)とは違うもの」であるからだと思う。身体や脳のそういう「他とは違う」という側面を上手く利用して、人は「トーン」、すなわち「他のどのクオリアとも異なるクオリア」を作り上げるのだと思う。そして、身体や脳の「他とは違う」という側面を上手く使うためには、「"同じ"というものをどうしてもを志向してしまう意識」をあんまり使わない、つまり「無意識で作る」という手法が有効なんだろう。無意識だから「トーン」は当然意識的には制御できないけど、長いスパンを通じて、例えば感性や肉体を制御するように制御することはできるだろう。
#もちろん、「他とは違うもの」がただ「他とは違う」から良い生産品になるとは限らない。生産品のよしあしの評価基準ってのは、多分これとは全然違う話になるんだろうと思う。
無意識がどうして「他とは違うもの」を作れるかというと、それはやっぱり身体あるいは脳が基本的には「他(他人の身体や脳)とは違うもの」であるからだと思う。身体や脳のそういう「他とは違う」という側面を上手く利用して、人は「トーン」、すなわち「他のどのクオリアとも異なるクオリア」を作り上げるのだと思う。そして、身体や脳の「他とは違う」という側面を上手く使うためには、「"同じ"というものをどうしてもを志向してしまう意識」をあんまり使わない、つまり「無意識で作る」という手法が有効なんだろう。無意識だから「トーン」は当然意識的には制御できないけど、長いスパンを通じて、例えば感性や肉体を制御するように制御することはできるだろう。
#もちろん、「他とは違うもの」がただ「他とは違う」から良い生産品になるとは限らない。生産品のよしあしの評価基準ってのは、多分これとは全然違う話になるんだろうと思う。
by patyakatya
| 2005-06-09 13:13
| クオリアという考え方