興味深いパラダイムに対する考えを積み重ねる場にしたいです.


by patyakatya
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なんとなく里山的なチェルフィッチュの表現

このエントリーはひょっとしたら全然的外れかもしれないけど,養老先生のインタビュー記事と「手入れ」に関する幾つかのエッセイを読んで面白かったので一応書いておきます.チェルフィッチュに参加している役者さんの身体(声の部分も当然含む)というのは,なんとなく手入れが行き届いている感じがする.養老先生によれば,手入れは相手の都合を考慮した営為で,それに対してコントロールは相手の都合を考慮しない営為であるということになる.岡田さんはちゃんと相手(役者さんの身体や周辺の身体)の都合を考えた演出を行っている気がする.なんかすごく当たり前なんだけど,でも演劇してる人でもダンスしてる人でも稽古や普段の心構えで身体を自由に改造して良いと思ってる人が結構いる気がする.たとえ今の身体が嫌いだとしても,それでもその身体の都合を考えてくれないと,その身勝手さで見てるこっちの息が詰まっちゃうよ.できることはなんでもして良いってわけじゃあないでしょう.もちろんチェルフィッチュ以外にもコントロールではなく手入れをしているパフォーマーは沢山いるんだろうけど,僕は寡聞にして知らないのでここでは言及できません.

閑話休題.チェルフィッチュは身体に対しては「手入れ」しかできないという感覚的な制約に従っている.とはいえ,もし特色がその制約だけなら,おそらく気持ちは良いけど対して刺激の無い作品しか作れないだろう.「マンション」とかそんな感じだった.ところが,チェルフィッチュは「労苦の終わり」という(少なくとも)僕にとってすごく面白い「表現」をこの間作り上げてきた.これはすごいと思う.でも「ポスト*労苦の終わり」はぼかし方が解りやすかったのとストーリーがヘビーだったのとで「労苦の終わり」ほどには面白く感じなかったです.でもやっぱり次も観に行くと思う.頭と感覚器の両方に訴えかけてくる舞台はあんまり無いと思う.
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by patyakatya | 2005-04-17 03:53 | 万物流転